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京都地方裁判所 昭和33年(わ)1147号 判決

被告人 勝畑ふみ 外二名

主文

被告人三名はいずれも無罪

理由

本件公訴事実は起訴状記載の通りであるから茲にこれを引用する。よつて証拠調の結果を綜合して判断すると被告人等はいずれも京都市東山区宮川筋で被告人勝畑は「紅春」同鷲尾は「酔月」同山田は「山田」の屋号でそれぞれ売春を業とする接客婦を抱え営業を続けて来たものであつてこれらの地域は古くから「宮川町」と呼ばれた廓地帯で戦後は所謂赤線地帯として京都の歓楽街を形成していたのであるが昭和三十三年四月売春防止法の全面的施行により之の営業を続けることができなくなり転業に苦慮していた一方これらに働いていた女達も転向を余儀なくされたが思わしい職もなく従来安易な生活に慣れて来た関係等から急角度の転向を好まず芸妓として働くことを希望する者が多かつた等の事情からこれらの女に遊芸の試験を受けさせ芸妓置屋としての再出発を計画するに至つたもの即ち同年三月頃から五月頃にかけ被告人勝畑は本件畠山文子、藤田ミヨ子、同鷲尾は田端せい同山田は尾畑久子、織田与志子、木田年子、藤井とめ、工藤広美、吉川きぬ、東本クニ子、樋田つね子、宇治田和世、曽我育子、綾部たね子をそれぞれ右のように芸妓として置くようになり田端が鷲尾方に住込み籍を置いた上被告人勝畑の「紅春」に店を借りた外右畠山、藤田が被告人勝畑方に尾畑、織田、本田、藤井が同山田方に住込み止宿し工藤以下七名が別に市内に住居を持つて通勤しそれぞれ芸妓として働くようになつたものであつて同人等は所謂看板料として毎月五千円の外住込みの者は別に部屋代食費等として毎月六千円を支払い又田端は被告人勝畑に対し所謂店借り賃として毎月八百円を支払つていたこと、右のように同人等は被告人等置屋に芸妓として籍を置きお茶屋の招きにより客席に侍りその時間に応じ花代を得ていたのであるが所謂新芸妓として従前からの芸妓と区別せられ遊芸にも未熟で以前からの芸妓に対抗して行くことの困難であつた事情に加え接客婦の前歴隋性等から屡々遊客の求めにより又はお茶屋の斡旋によつて売春を行い直接遊客から或はお茶屋を通じその対価を得ていたものであつて被告人等もそれらの事情を知つていたことが認められる。

然しそれ以上に被告人等が右住込みの芸妓等との間に同人等を自己の支配下に置き若しくは売春をすることを諒解させて雇傭し或は直接売春をさせたこと被告人山田が通勤の芸妓等との間に売春させることを主たる内容とする契約をしたこと等はいずれもこれを認めるに足る証拠がない。公訴事実によれば右住込みの芸妓について同人等の払つていた前示看板料名義の毎月の五千円被告人勝畑が田端から受取つた毎月の八百円を以て売春の対価の分配所謂歩分けとするのであるが前示の通り売春は芸妓と遊客の直接或はお茶屋を通じての取引であり被告人等に関係なくなされ、対価も芸奴の収入としていたものであるのみならずこの程度の所謂看板料、店借り賃の授受は宮川町として通常一般のものであつてこれを以て所謂売春料の分配と認めることはできない。この点について被告人等の検察官に対する供述調書によるとそれが売春料の分配乃至は変形である旨の供述が散見されるのであるがそれらが容易に想像されるように或は売春によつて得た金員もその資金源となつていたであろう点から見てそのような供述を余儀なくされるに至つたものと認められる。その他被告人等方に住込んでいた者は別に毎月六千円を支払つていたこと前示の通りであるが住込みは適当な住居のない者の自由な意思に出たものであつて右の金額は寝食等の費用所謂下宿料に相当しその額も格別不当とも認められずそれ以外に通勤していた者との間に格別処遇上の区別も認められない。

公訴事実は右住込みの者に対する関係を所謂管理売春とし通勤の者との関係を売春させることを内容とする契約をしたとするのであるがいずれもこれを認め難いこと以上の通りである。尤も被告人等が女達の売春の事実を知つていたことは前示の通りであつてこれに対しある程度の注意乃至は助言をしたことが窺われ又被告人勝畑が畠山のために同山田が住込みの四名のためにそれぞれ芸妓稼業に必要な衣裳代等五万円程度の金借について保証をしたことが認められるがこれらのことから直ちに所謂管理売春としての管理乃至支配の関係或は売春させることを業とした等の事実を認定することはできない。

以上被告人等に対する本件公訴事実はいずれもその証明がないものと認め刑事訴訟法第三百三十六条に従い無罪を言渡すべきものとして主文の通り判決する。

(裁判官 岡田退一)

起訴状

左記被告人に対する売春防止法違反被告事件につき公訴を提起し公判を請求する。

昭和三十三年十二月二十七日

京都地方検察庁

検察官 検事 俵谷利幸

京都地方裁判所殿

一、被告人(省略)

二、公訴事実

被告人勝畑ふみは京都市東山区宮川筋四丁目二九七番地において新芸妓置屋兼小方屋を営むもの、被告人鷲尾津屋は同市同区宮川筋四丁目三二五番地において、被告人山田しなは同市同区宮川筋三丁目二七八番地において夫々新芸妓置屋を営むものであるが、いずれも新芸妓名義で売春することを主とする婦女を雇入れ、夫々自宅に住込せた上、被告人山田は自宅より右婦女を宮川筋附近のお茶屋等に派遣し、被告人勝畑同鷲尾は被告人勝畑の営む小方屋より右雇入れた婦女を宮川筋附近のお茶屋等に派遣して夫々売春させようと考え、

第一、被告人勝畑ふみは、

一、別表(一)1記載のとおり昭和三十三年五月十八日頃及び同月二十日頃新芸妓として稼働し被告人等の周旋する遊客と売春する旨を諒解させて雇傭し自宅に住込ませた畠山文子、藤田ミヨ子を同年五月十八日頃から同年七月十五日頃迄の間宮川筋附近のお茶屋に派遣し同所等で遊客約二十四名を相手に約二十四回に亘つて売春させ芸妓花代名下に取得した対償約二万五千三百二十円中約一万円を芸妓看板料名下に取得し、

二、同表番号2記載のとおり鷲尾津屋と共謀の上、同人において昭和三十三年四月五日頃右同様売春することを諒解させて雇傭し自宅に住込ませた田端せいを被告人方に預り同年四月十日頃から同年七月十二日頃までの間右同様遊客約六十四名を相手に約六十四回にわたつて売春させ、右同様取得した対償約三万八千四十円中約二千四百円を芸妓預り手数料名下に取得し、

第二、被告人鷲尾津屋は右第一の二記載(別表(一)番号2)のとおり勝畑ふみと共謀の上、昭和三十三年四月五日頃前同様売春することを諒解させて雇傭し被告人方に住込ませた田端せいを同年四月十日頃より同年七月十二日頃までの間前同様遊客約六十四名を相手に約六十四回にわたつて売春させ、前同様取得した対償約三万八千四十円中約一万五千円を芸妓看板料名下に取得し、

以て夫々人を自己の管理する場所に居住させて之に売春させることを業とし

第三、被告人山田しなは

一、別表(一)番号3記載のとおり昭和三十三年三月二十六日頃より同月三十日頃までの間前同様売春することを諒解させて雇傭し、被告人方に住込ませた尾畑久子外三名を同年四月四日頃より同年七月十二日頃までの間前同様遊客約百名を相手に約百回にわたつて売春させ前同様取得した対償約十五万七千百四十円中約四万九千円を芸妓看板料名下に取得し以て人を自己の管理する場所に居住させて之に売春させることを業とし、

二、別表(2)記載のとおり昭和三十三年三月二十六日頃より同年五月二十七日頃までの間七回にわたり京都市東山区宮川筋三丁目二七八番地の自宅において、工藤広美外六名と被告人方新芸妓として通勤稼働し宮川筋附近のお茶屋等で被告人等の周旋する遊客と売春する旨を諒解させて雇傭し、以て人に売春させることを内容とする契約をし

たものである。

(以下省略)

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